連続講座『映画以内、映画以後、映画辺境』(第四回)ゲスト:平倉圭、土居伸彰

四月にやった“サロメ”、どう「映画」に落とし込むのかと思って勝手にハラハラしていたけれど、なるほどこうなるのか、という。
そういう記録のされ方も含めて、これ、『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』と似たところがあると感じた。
良かった。
後半の講座では、平倉氏の"デジタル化には絶対賛成、なぜならお金をもたないものにも広く機会が与えられるから"という発言が力強く、印象に残った。
なぜそこに"男と女"をもちこむのかという話が次回の"サイボーグ"につながったらおもしろいと思う。
“断首”に精神分析的なものをあえて読みこまないというのはそういえば平倉氏のピカソ論のキモでもあった(ような記憶がある。今手元にないから確かじゃないけれど)。