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確かに神秘道とは一般に、世界に隠れつつ顕現する神を認識し神と一つになる方途である以上、世界認識もしくは世界(すなわち神であるが)同一化を目指すものの、世界改革の道ではないかも知れない。しかしファナー(消失)の後のバカー(存続)とは否定の後の肯定であり、そこから再び世界認識の道が拓けてくる。世界対処の具体的処方を欠くゆえに積極的に世界改革と関わってきたわけではないが、スーフィズムの行程とは本来開かれていてむしろ第二の素面から再び世界に向かうところにこそ真骨頂があるとも言える。むろんそこに辿りつくまでの内的エネルギーの充電が難しく、危うきに遊ぶだけに相応しい容量を持たぬまま途中で放電し果てた行者の方がはるかに多い。けれどもこの事実が直ちにスーフィズムの限界を意味するのではなく、むしろ道の危険と困難さの証なのである。