振り子の半分を開けておくこと。焦点のひとつを開けておくこと。海からの訪ないを待つこと。
ノイズ的な映像の波の向こうに、ちらっと顔が見えた気がする。それは作り物の、まがい物の、仮の顔、だとしても、
それがなければ国が成り立たない、一つの基礎となるイメージ。
カウントダウンにのせて、即興で作られたようなさまざまなシンボルが現れては消えていく。これも箱船作りの一種。
断首面はスクリーンと相対する七人のあいだのどこかにもある。"7"と二枚のスクリーン(横たえられた井戸を持つ立てかけられた地面をさらにもう一度横たえる。くっせつはしても切断はない、これもバロック)という基底面の間の場所、その距離がひとつのhomeだとして、それを音によって切り出すことなどできるのだろうか、といえば、むしろ絶えず、空間的に繋がっていることを意識させられていた。消えてしまった影を持つメディウムのためのスクリーンの代わりに己を差し出した一つの体がこの危機状態を生き延びた。身代わりの首を差し出して。
キリエ!