細馬宏通「うたのしくみ」刊行記念トーク&ライブ@キチム

『うたのしくみ』はmodern fart に連載中から大体読んでいたけれど、こうしてまとめられたものを読むとやはりものすごい仕事で、こう、目から入った情報が脳を伝わって耳を、特にひとより動体聴力に劣ること甚だしいこの役立たずの耳までもを更新しにかかってきているのを感じる*1。耳からうろこ(既出?)。

前半は大和田俊之(面白かった『アメリカ音楽史』の著者)との対談。たったの一時間。足りない!
メモ。記憶に残っている話。
フィールド・ホラーからザイールへ、聴くともなく聞かれている場所で話すともなく発される大きすぎる独り言。ブルースの章に書いてあること。木村大治『共在感覚』。
silverとorangeには完全韻?を踏む言葉がないので、詩やライミングの世界ではしりとりの「ん」あつかい。
サンバの円環性という話から、循環するブルース、ジャズ、ヒップホップ(廻り続ける大縄跳びへの終わらない参加者たち)、さらにはニコニコ動画における初音ミク(ミクの難曲をカラオケで歌いなおす行為、アスリートみたいに愉しんでいるのではないか、という細馬氏)まで.....
蓮實重彦が映画で行った仕事に近いのではという指摘に、"物語"への忌避感という点では共通しているかも、と応じる細馬氏。

合衆国のミュージシャン*2にとってのブルースの12小節縛りって、ルネサンスの画家にとっての遠近法みたいなものかもしれないな。
絵の仕組みを解いていくことと、歌の仕組みを解いていくことは、順序(order?)があるかないかという大きな違いがあると、細馬氏。しかし絵にも歌にも、作り手には作り手にしかわからない秘密のorderがあるはずで、そしてそれは結構大事なもののはずで(ポロックとか?)、音楽も、デッサンや順備稿みたいに、作り手の心と手の動きが読み取れる痕跡が残っていたら面白いだろうなあ、と思った。これからはそういうものもデーター上に残る時代になるかも。
あと、物語、語られている、と多くの人が思っている(であろうと、幾人かは思っている)物語を避けるときに生まれる、ある種の形、これも物語storyなのではないか、といっても否定したいのではなく、そこまで研ぎ澄まされた、というとたとえが悪く、残存した? リフォームした? storyというのは何か大変ありがたいもののような気がする昨今である。


後半はかえる目ライブ、初体験。
楽しかった!!!!! moved!
ほほうベースレスなのね、とおもっているとさいごに殿下*3二連発! しかもヴォーカリストによって隠されていたけれどドラムレスでさえあった事実が後半に発覚!
渋谷の歌は今日の東急による大破壊と地盤沈下を予言していたのかもしれない。
「どこにも行き着かないけれど、チューニングはせなあかんね」(名言)
歌って橋だなあ、と、前に診たペドロ・コスタ『何も変えてはならない』のことなども、思い出しながら(もちろんペコロスのことも、歌手つながり)。しかし違うのはこの安定した歌いっぷり、あの映画では直接カットを共にすることのなかった二人の女が、ユーミン(うた)とユーミン(ことば)として、この天使的な歌手の両翼を見えないところからしっかり固めているからなのかもしれない。(ペコロスのほうでは姉妹を車に乗せてあげドライブしていた、から飄々と歌ってもいた。女性が姉妹の間に入っていくことの難しさ?)
音楽が彼岸のもの(デュラスとJLG)だとしても、三途の、レテの、その他の川にしっかりとかかる橋、橋げた、渡された板、欄干、宝珠、などなど.....しっかり往って帰ってこれる、地に足ついたエウリディケー、親切なセイレーン、アニマとの繊細な付き合い方、勉強になる。


それにしても理系と文系の学問の交錯点で難しそうな仕事をして、ギターも弾けて、歌えて、曲を作れも読めもするって、すごい。スターだ、聖☆だ。これからもフォローしていこう。もっとまめに東京に来てほしいな。


うたのしくみ

うたのしくみ

*1:とは言いつつ、本を読んでいるときに、耳が使われていないかどうかすら怪しくなってきた.....

*2:大和田氏によると、最近のヒット曲はループ的なものへの回帰が見られるらしい(ぜんぜん聴いていないけれどファレルの新作とかそんな感じ、あるかも)、そしてそれはコードがやたら複雑化してきた日本のポップスとは対照的に感じると

*3:ヒトデコーヒーの歌はこうゆうアレンジで聴くと、ちょっと僕とフリオに似ている、学校つながり?