消毒行為

多和田葉子+高瀬アキ『菌じられた遊び』@シアターX

メモ

小説家の二つの面
森森と、知らない間に降り積もって、あたりを覆い尽くした朝早くの雪の衣のような一面、これはこの間のクライストについての朗読会の時に特に感じられた面。
一方で
瞋瞋と、張り詰め、押し殺された、積もった雪の下に匿われ、囚われてきたものの怒りような、これは今日特に感じられた一面。
あのことがなくとも、ずっと伏流として、駄洒落や地口合わせの底に流れていた水(と云ってもやはりこんなことがなければ、"アフタートーク"をミなかったならば、気がつかなかった事柄なのかも)。


"映画を実る"


放射-能、勝ちと負けの相殺された、隔離された地点(をソウゾウすること)。


SF....
未来の事をきちんと考えようとすれば、どうしたって、物事の理について考えないわけには、それが、ここでは、きちんと考えられてこなかったという事について考えないわけにはいかない。
過去に戻ることについて真剣に考えれば考えるほど、その不可能性について考えないわけにはいかない。
ポスト・コミュニズムの....太極拳....練習可能な何か
....音楽


Ich を chiに変えること、換える技術を持つということは、同時に(釣り合いをとるために)、0をOに間違えることができなければいけない、換えてしまっている、という事なのかも知れない。

いるけれど居ない、見えないけれど見えるもの。
小説の中を動いていく、無いものと、劇の中を動いていく、人、無くないかたちの間にある、もの=ひと=かたち、としての朗読、という行為(+音楽)。


未来から折り返して過去へ〜原発という霊廟を正しく祀る為に自分たちの”組成を変える”こと、と
過去から折り返して未来へ〜戻れない"江戸"へ戻る為の拳法に習熟すること、
の谷間に橋を”かける”とは?