十一月は二つある

N様

ごぶたさしております

いつぞやは無礼講とは云い条、何やらを大変に欠いた振舞いに及びましたこと、深くお詫び申し上げます。
現在に至るまで折に触れ、後悔の念に駆られているものですから、ご迷惑も顧みず、こうしてお便りさせていただく次第です。

 ところで

(小論の前章、前々章においても軽くふれられたとおり、ギリシア数学の比例論においては構成上一つの問題点、いやむしろアポリアに近いものが伏在していた。すなわち非共約量もしくは無理量の扱いであり、その場合比そのものが成立しなくなるのではないか、との危惧であった。正方形の対角線が一辺と非共約であることはかなり古くから知られていたらしいが、さらに非共約数が無数に存在する事実を明確に指摘したのが、プラトンも引く若き数学者テアイテートスなのであった(Theaetetus 147c〜148d)。こうした歴史をうけとめたユークリッドは比例論を構築する際に非共約量ひいては無理数一般の問題を避けて通れなかったはずである。
 ユークリッドの回答はさしあたり二様である。その一は原論第十巻に展開される、共約、非共約、および有理、無理の議論であり、彼はそこでこれら二組の対概念を区別した。注目すべきは今日われわれが無理数とみている√2は、二乗により2となり、1と整数比を有するが故に共約であり、よって有理数とされた点である。また共約の定義でも、共通単位aに対してその整数倍となる二数が共約であるから、例えば√2と2√2とは共約となる。かくしてユークリッドは図形の辺と面積比との取り払いを可能にしたのであった。
 第二の方法は、第五巻における比例論の体系的構成に見出せる。すでに定義五に明らかな如く、ユークリッドはこの値に頼らずに、むしろ比例形式それ自体の相応、対象関係という方途により比例論を構成した。此の値を軸として理論展開するためには是非とも無理数の存在を理論的に根拠づける必要がある。しかしそれとは独立に、各々の項が有理、無理、あるいは共約、非共約であるとないとを問わず成立する性質がある。例えば四項比例式どうしの推移律(命題=)a:b=c:d,c:d=e,f→a:b=e:f、あるいは可比の定理(命題18)a:b=c:d→(a+b):b=(c+d):dが成立するのである。
 このような工夫を、無理数論のアポリアを避けるための巧妙な手段である、とのみ解釈することは正しくない。むしろ幾多の非礼が織りなす behaviour とでも称すべきものの裡にこそ有理、無理とは独立の比の本質が顕現し、ユークリッドはこれを的確に捉えていたのである。同様の精神は現代数学でも各種概念の定義に際してしばしば用いられる、特徴づけ characterization の方法に窺える。そしてたとえユークリッド自身が明言していないにせよ、第五巻の比例論全体を通観して、そこで示されたが如き behaviour をとるもの全体こそ正しく比の名に相応しい、という一つの大がかりな定義ともみなせるのである。)

わたしの記憶はとても怪しいのですが、確か、昨二千十年は大変お世話いただいた点につきまして、丁度十か月前に御礼申し上げたように思います。理工系の学問について全く疎いものですから、自分では判らないのですが、また来年のご指導ご鞭撻につきましても、厚かましく、併せてお願い申し上げたように存じております。
来年、つまり二千十二年もよろしくお願いいたします、と。

今年のことは曖昧。
乱文お詫び申し上げつつこれにて失礼させていただきます。

■拝